2011年5月22日日曜日

マンデリン・グレードNo.1、自宅

空は厚い雲に覆われていて、時おり小雨が降る。読書には良い天気だ。青空が広がっていると、室内に篭っていることになぜか罪悪感を感じてしまう。

震災以来の自分の思考や言動に言葉を与えたくて、何かの参考にならないかとカミュの『ペスト』を読んでいる。翻訳の日本語にはどうにもなじめないのだが、ときおりハッとさせられる表現に出会う。たとえば、角折りされたページにはこんな記述がある。
そこに、毎日の仕事の中にこそ、確実なものがある。その余のものは、とるに足らぬつながりと衝動に左右されているのであり、そんなものに足をとどめてはいられない。肝要なことは自分の職務をよく果たすことだ。
ここ最近、仕事のときもほかの日常生活のときも、ことさらに上記のような「確実性」を求めているように思う。昨日のハイキングの折、幹の部分から直接に芽を出した針葉樹の若葉にひときわ目をひかれた理由も、そこにあるのだろう。植物の、自らの生命活動に忠実な姿に「確実性」を見出したのかもしれない。

「monmo」という福島県の情報誌の最新号に、「明日へのひかり」と題された特集があった。津波の被害から再開に向けて、作業を続けるいわきの水族館職員たち。ホームとなる舞台を失っても、踊るという選択肢を選んだいわきのフラガールたち。「それしかない」と野菜をつくりつづける田村市の有機農家。結局はみな、それぞれがいままで続けてきたことをこれからも続けると決めた人たちだ。つづけられるだけ幸運な人たちなのかもしれない。でも、続けられる人が続けないでどうしようというのだ。ここでもまた、「隙あらば生きてやる」というフレーズが頭をよぎる。

同じ号に、花見山園主の言葉が紹介されていた。花見山というのはいまや福島市の一大観光スポットで、サクラのシーズンには関東からのツアー客も訪れるという。驚くべきは、その山は個人の所有で、手入れもすべて園主がされているということ。そして、無料で広く一般に公開されている。16歳から花を植え続けて、今年で91歳になるという園主は特集の中で花についてこう語っている。
「花は、全てをしのいで毎年きれいな花を咲かせます。」 
園主は先の大戦で多くの仲間を失いながら自分が生き残った理由を自問し続けてきた。そして「花を植え続ける」という行為に答えを見出した。その行為について、
「自分にできることをやり続けることは大事ですね。そのおかげで今があります。」


日が暮れると、近所の水田からカエルの大合唱が聞こえてくる。ここ数週間の間に、田起こしされた土のにおいに始まり、田に引かれる水の音、整然と植えつけられた稲と、福島市内の季節は足早に移り変わっている。 そして現在の水田には、日々の情景が絶え間なく映りこんでいる。

今日の飲みもの
マンデリングレードNo.1、自宅
甘みのある香りと味を楽しむことができるようになった。
やっと体調が全快したらしい。

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