昨日、会津の斎藤清美術館にいってきた。「春粧のころ」という特別展を見るために。
国道115号を会津方面へ向かう。観山荘の前で左折し、土湯峠の旧道に入る。緑のトンネルはすでに完成しており、気持ちの良い森林浴が楽しめた。湿気を含んだ空気が緑の色彩をより鮮やかにしている。窓をあけると、小鳥のさえずりと木々の静けさが気持ちの良い風とともに車内に入ってくる。
土湯トンネルを抜けるとカラマツの新緑が目に飛び込んでくる。若々しく瑞々しい色だ。旧土湯峠の森林浴があまりにも気持ちよかったので、二匹目のドジョウを得んと、レークラインへとハンドルを切る。峠の茶屋でトイレを借りた。
茶屋では、おばさんにお茶と地で採れた山菜を振舞ってもらった。ウドとヒメタケ。ウドの和え物も、ヒメタケと鯖缶の煮物もどちらもうまかった。最初、お茶とともにウドの和え物を頂いたのだが、「こんなところまでくる若い人は珍しいから」とヒメタケと鯖間の煮物を大きな鍋から取り出して振舞ってくれた。おばさんは手料理を振舞ってくれながら、いまだ避難生活を余儀なくされている人たちの話を聞かせてくれた。
いまだ生活再建の道筋すら見えない避難者は、当座の資金として支給された金と今までのたくわえだけを頼りに生活している。つかったら使った分だけ金は減り、増えるあてはどこにもない。どこに行くにも、何をするにも残りの金を勘定し倹しい生活を送っている。そんな話を、ガソリン代を気にしながらも気分転換にドライブにやってきた避難者から聞いたのだそうだ。
先日のNHKニュースでも同じようなことが取り上げられていた。幼い孫を含む三世代家族は、仮設住宅に移ることはできたものの、生計を立てる手段が何一つないまま細々と暮らしていかなければならないとのこと。家族でカップラーメンをすすっている映像に切なくなってしまった。
レークラインは土湯峠から裏磐梯へと抜ける有料道路。秋元湖、小野川湖、桧原湖のほとりを走っているのでその名前がついた。車を停めて景色を楽しむために、ところどころに駐車場が設けられている。三湖パラダイスと名のついた駐車場からは磐梯山の北壁眺めながら、左手に秋元湖、右手に小野川湖・桧原湖を望むことができる。これらの湖は明治年間に起こった磐梯山の大噴火でできた堰止湖である。この大噴火で、北麓のおよそ15の集落や村が埋没し、477名が死亡した。裏磐梯に散在する巨大な岩石はこのとき火山から吹き飛んできたものだという。当時の被害が甚大なものであったことは想像に難くない。しかしいまや、木々は生い茂り、湖畔にまで迫っている。
裏磐梯に入ったところで、ちょうど昼時になったので以前に行ったことのある蕎麦屋にむかった。鴨そばがうまかったのと、食後に頼んだコーヒーが果物のように甘い香りをしていたのを記憶している。しかし、残念ながら閉まっており、入り口には「今年は那須に支店をだしました」との張り紙がしてあった。
昼食の当てもないままとりあえず、ゴールドラインを通って表磐梯へと抜ける。磐梯山の雪はほとんど消え、北側からはその噴火口が荒々しい姿を見せている。表(南)側に抜けると、さきほどの荒々しさは消え、山肌に緑をたくさん蓄えた雄大な姿に変わる。その山肌を大きな雲の塊がゆっくりと駆け上がっていく。
ゴールドラインを出て、表磐梯の麓に差し掛かったところで蕎麦屋の看板をみつけた。遅い昼食をここでとることにした。蕎麦屋の名は「そばさだ」。おしながきの裏には、その店を紹介する記事の切抜きが入れられていた。「数々のそばうちコンテストで受賞歴のある店主が自宅を改装して店を開いた」との紹介の通り、生活感の溢れる店内であった。客間は、店となる前は居間であったことが用意に想像できた。トイレを借りるために障子を開けると、そこは板間になっており、おばあさんが収穫してきたヒメタケの皮をむいているところだった。
ざるとイワナの塩焼きを注文する。出てきたざるにはつゆと薬味のほかに、茹でたぜんまいや筍のおでん仕立て、キュウリとニンジンの浅漬けが品よく盛られた小皿がつけられていた。そばの瑞々しさに感動。つゆをつけるのがもったいないほど瑞々しく、うまい。半分以上はつゆをつけずに食べた。イワナの塩加減もよい。偶然ながら、良い店をみつけたことに満足して店を出た。道を挟んで向かいの母屋では、縄につながれた犬が人恋しそうにこちらを見ている。あんまり人恋しそうにするので、こちらもうれしくなって近づいていってしばらく遊ぶ。
会津若松から県道33号線を下って柳津に向かう。右手に広がる山脈はまだ多くの雪が残っていた。只見川にかかる瑞光寺橋をわたって柳津に入る。すぐ右手に美術館がある。小さいが形の良い建物。中の休憩室からは只見川と瑞光寺橋、円蔵寺を一望できる。只見川の向こう岸に広がる風景はは斎藤清の作品世界そのもののようだ。機会があればこの辺を散策してみるのも面白そうだ。「さつきの会津」という作品は、まさにこの眼前に広がる風景のようであり、小さい頃よくあそびにいった母の実家あたりの風景のようでもある。ここにもまた、自然と向き合って生きてきた人たちの暮らしがある。
ミズバショウをモチーフにした「春粧」「初夏」、「さつきの会津」、「冬の会津」の絵葉書を購入して美術館をあとにした。美術館では、購入したチケットともにパンフレットと「がんばろう東北・がんばろう福島」と書かれた小さなしおりをもらった。しおりには四葉のクローバーの押し花が添えられていた。
昨日の飲みもの
峠の茶屋で振舞われたお茶
イナゴの佃煮を試食。生まれて初めて食べたが、見た目とは裏腹にかなりおいしい。ふきのとうのしょうゆ漬けとともに購入。白いご飯に良くあう。
2011年5月22日日曜日
マンデリン・グレードNo.1、自宅
空は厚い雲に覆われていて、時おり小雨が降る。読書には良い天気だ。青空が広がっていると、室内に篭っていることになぜか罪悪感を感じてしまう。
震災以来の自分の思考や言動に言葉を与えたくて、何かの参考にならないかとカミュの『ペスト』を読んでいる。翻訳の日本語にはどうにもなじめないのだが、ときおりハッとさせられる表現に出会う。たとえば、角折りされたページにはこんな記述がある。
「monmo」という福島県の情報誌の最新号に、「明日へのひかり」と題された特集があった。津波の被害から再開に向けて、作業を続けるいわきの水族館職員たち。ホームとなる舞台を失っても、踊るという選択肢を選んだいわきのフラガールたち。「それしかない」と野菜をつくりつづける田村市の有機農家。結局はみな、それぞれがいままで続けてきたことをこれからも続けると決めた人たちだ。つづけられるだけ幸運な人たちなのかもしれない。でも、続けられる人が続けないでどうしようというのだ。ここでもまた、「隙あらば生きてやる」というフレーズが頭をよぎる。
同じ号に、花見山園主の言葉が紹介されていた。花見山というのはいまや福島市の一大観光スポットで、サクラのシーズンには関東からのツアー客も訪れるという。驚くべきは、その山は個人の所有で、手入れもすべて園主がされているということ。そして、無料で広く一般に公開されている。16歳から花を植え続けて、今年で91歳になるという園主は特集の中で花についてこう語っている。
日が暮れると、近所の水田からカエルの大合唱が聞こえてくる。ここ数週間の間に、田起こしされた土のにおいに始まり、田に引かれる水の音、整然と植えつけられた稲と、福島市内の季節は足早に移り変わっている。 そして現在の水田には、日々の情景が絶え間なく映りこんでいる。
今日の飲みもの
マンデリングレードNo.1、自宅
甘みのある香りと味を楽しむことができるようになった。
やっと体調が全快したらしい。
震災以来の自分の思考や言動に言葉を与えたくて、何かの参考にならないかとカミュの『ペスト』を読んでいる。翻訳の日本語にはどうにもなじめないのだが、ときおりハッとさせられる表現に出会う。たとえば、角折りされたページにはこんな記述がある。
そこに、毎日の仕事の中にこそ、確実なものがある。その余のものは、とるに足らぬつながりと衝動に左右されているのであり、そんなものに足をとどめてはいられない。肝要なことは自分の職務をよく果たすことだ。ここ最近、仕事のときもほかの日常生活のときも、ことさらに上記のような「確実性」を求めているように思う。昨日のハイキングの折、幹の部分から直接に芽を出した針葉樹の若葉にひときわ目をひかれた理由も、そこにあるのだろう。植物の、自らの生命活動に忠実な姿に「確実性」を見出したのかもしれない。
「monmo」という福島県の情報誌の最新号に、「明日へのひかり」と題された特集があった。津波の被害から再開に向けて、作業を続けるいわきの水族館職員たち。ホームとなる舞台を失っても、踊るという選択肢を選んだいわきのフラガールたち。「それしかない」と野菜をつくりつづける田村市の有機農家。結局はみな、それぞれがいままで続けてきたことをこれからも続けると決めた人たちだ。つづけられるだけ幸運な人たちなのかもしれない。でも、続けられる人が続けないでどうしようというのだ。ここでもまた、「隙あらば生きてやる」というフレーズが頭をよぎる。
同じ号に、花見山園主の言葉が紹介されていた。花見山というのはいまや福島市の一大観光スポットで、サクラのシーズンには関東からのツアー客も訪れるという。驚くべきは、その山は個人の所有で、手入れもすべて園主がされているということ。そして、無料で広く一般に公開されている。16歳から花を植え続けて、今年で91歳になるという園主は特集の中で花についてこう語っている。
「花は、全てをしのいで毎年きれいな花を咲かせます。」園主は先の大戦で多くの仲間を失いながら自分が生き残った理由を自問し続けてきた。そして「花を植え続ける」という行為に答えを見出した。その行為について、
「自分にできることをやり続けることは大事ですね。そのおかげで今があります。」
日が暮れると、近所の水田からカエルの大合唱が聞こえてくる。ここ数週間の間に、田起こしされた土のにおいに始まり、田に引かれる水の音、整然と植えつけられた稲と、福島市内の季節は足早に移り変わっている。 そして現在の水田には、日々の情景が絶え間なく映りこんでいる。
今日の飲みもの
マンデリングレードNo.1、自宅
甘みのある香りと味を楽しむことができるようになった。
やっと体調が全快したらしい。
2011年5月21日土曜日
ミネラルウォーター、吾妻山腹
今月中旬に体調を崩して以来、やっと更新するだけの気持ちが沸いてきた。今度の風邪にはずいぶんと長いあいだ煩わされてしまっている。
今日は体力と天気の条件がやっと揃ってくれたので、念願の場所をハイキング。土湯温泉から女沼、仁田沼、男沼をめぐる。
今日は体力と天気の条件がやっと揃ってくれたので、念願の場所をハイキング。土湯温泉から女沼、仁田沼、男沼をめぐる。
7:45 ローソン福島土湯温泉町を出発。産ヶ沢橋を渡り、土湯温泉街を目指す。木々の緑は、眼前にそびえる山(箕輪山か)の6合目辺りにまで及んでいる。6合目付近の緑は、ひときわ若々しく輝いているように見える。
土湯温泉街北部の向瀧旅館のわき道を北進して、女沼を目指す。向瀧温泉の外壁は一部がブルーシートに覆われていて、隙間から外壁の損傷が垣間見える。当面の間休業するとの張り紙あり。
日向集落に入ると、数件の民家とともに菜の花畑などが目に入る。道路わきに針葉樹の並木。若葉が幹の表面から直接、芽を出している。そんなところからも芽吹くのかという驚きとともに、「隙あらば生きてやろう」という生命の逞しさのようなものを感じる。
8:57 女沼手前のつつじ山公園に立ち寄る。小高い丘となっている公園は、満開のつつじで埋め尽くされている。頂上から眼下に、女沼のほぼ全体を見渡すことができた。
9:10 女沼東端。「セラピーマップ」なる案内図に、マイナスイオン値なる数値が記載されている。単位は「個/cc」。
9:18 女沼ほとりのベンチにて小休止。西南西の方角に残雪の山肌。ベンチ脇には焚き火のあと。
9:36 二等三角点から「思いの滝」を見下ろす。沢からの風が冷たく心地よい。この滝にまつわる昔話とともに作者不明の和歌が案内板に記されていた。
行きて見ば 後も思いの瀧つなみ かかるながめを 余所にすな人滝つぼ近くまで降りる。滝は二段構えで、上段と下段の滝が絶妙のアングルで折り重なって見える。切り立った岩壁の合間から落ちる豊富な水量を、深々とした滝つぼが泰然と受け止めている。
10:08 仁田沼。女沼の西端から仁田沼に向かう途中、方向感覚を失う。地図上で自分の位置をつかめないまま、現地の案内板に従ってなんとか到着。仁田沼に群生するミズバショウはすでに花弁を落とし、見ごろを終えていた。葉の背丈はヒザ~腿までもある。ミズバショウやほかの植物によって沼のほとんどが埋め尽くされていて水面は、ほとんど見えない。沼というよりは湿地。中ほどに白樺の木立。
10:24 仁田沼を周回したあと、脇のベンチで小休止。その後、男沼を目指して出発。
10:56 男沼北東端。案内板に紹介されていたアケボノ湿原に向かう。モリアオガエルの生息地。
11:06 アケボノ湿原。ミズバショウが群生するあたりからカエルの鳴声。切れの良い「コケケケッ」という鳴声が心地よい。
男沼の畔、西半分をまわって車道に抜けるルートを取る。林道から砂利道に出たところで、現在地がわからなくなる。地図上で確認する道路の形状と、実際の形状が異なって見える。「不動湯温泉」という建て看板を頼りに、ひとまず人のいそうな場所を目指す。視界が開けた場所で現在地を確認。どうやら目的のルート上にいるようだ。
12:47 右手に深い沢を見るようになったあたりで、不動湯温泉にたどり着く。温泉好きのK先生お気に入りの秘湯らしく、一軒の温泉旅館以外はひとつの民家さえもない。せっかくなのでもらい湯をする。沢底に向かう長く細い階段に沿って3つの湯がある。一番下の湯は沢を流れる川べりにある。大人3人が入るのがやっとなくらいの湯船。
不動湯温泉から土湯温泉街までは20分もかからずに到着。車に向かう途中、観山荘に立ち寄る。この温泉旅館は国道115号に面しており、土湯温泉の玄関口といった立地である。スキー場からの帰りには、別館の樹泉をよく利用していた。建物が震災で大きな被害を受けたあと、一度は再開に向けて動き出したものの結局は破産してしまった。外壁が崩れ、館内が露出しているところが数箇所目に入る。ゴミ捨て場には、割れたガラスや壁の一部などがまとめて捨てられている。従業員が再開に向けて働いていた形跡だろうか。もっとも目を引くのは屋上の建造物で、旅館名が書かれた壁の一面がすべてはがれてしまっている。壁がなくなってしまったところからは、貯水タンクらしきものが露出している。タンクは横に傾いて残った壁に寄りかかっている。旅館の入り口には、破産管財人となった弁護士の名で張り紙がしてある。
今日の飲みもの:
ミネラルウォーター、吾妻山腹
2011年5月6日金曜日
Coffee of the Day, EXCELSIOR CAFFE
今日は入学式。長い春休みが終わり、学生たちの活気が戻ってきた。サークル勧誘の賑わいが構内を明るくする。
来週からはじめる海馬の破壊実験に備えて、microinjection用のpicopumpとガラス電極記録用の生体アンプを新たにセッティングした。
帰宅後、最近オープンしたばかりの近所のTSUTAYAに行ってみた。書籍コーナーがかなり充実していて、中古本も多いのがうれしい。さっそく沢木耕太郎を4冊、カレル・チャペックの旅行記を2冊購入。TSUTAYAと同じ建物内に併設してできたEXCELSIOR CAFFEで購入した本を広げるが、店内ではいまいち落ち着いて読書に集中できず、早々に帰宅。なんというか、買い物帰りにふらっと立ち寄って読書するには、ちょっとばかり気取りすぎているような店内にバツの悪さを感じたのかもしれない。
今日の飲みもの:
本日のコーヒー、エクセルシオールカフェ
一口すすってむせ返ってしまったほど濃いのに、エグミや雑味がなく後味が良いのは「おいしい」と表現していいのかも知れないが、あまりにも濃い…。どんなにすばらしいコーヒーでも、むせるほどの濃さは蛇足になりかねない。
2011年5月5日木曜日
マンデリングレードNo.1、帰省中
4月30日から今月4日までのスケジュールで帰省した。昨年の秋に亡くなった祖父の墓参りを済ませたくて、1月に航空券を手配しておいたのだ。祖父の葬式に参列することはできたのだが、初七日をはじめ納骨にも立ち会えなかったのがずっと心残りだった。
中学を卒業して飛び出すように地元を離れた私にとって、ここには会うべき同世代人はいない。1年に一度あるかないかの帰省の目的は、年寄りに顔を見せることと墓参りである。ここ最近では、年寄りよりも墓石に向かうことのほうが多くなっている。
祖父の骨が収められた墓は、集落の小高い丘に立っている。その集落は、山あいの狭い土地に辛うじて田畑を配することによって形成されている。墓地からは両側に迫る山と、その間隙を縫うようにして流れる川と、川べりに器用に配された水田とを一望することができる。水田には整然と苗が植えつけられており、その水面はそばに建つ農具小屋を映し出している。この風景に、祖父やこの集落に暮らしてきた人々のすべてが詰っているように感じた。
祖父の遺品の中に3冊の日記がある。A4ノートには、1日の出来事が数行の短い文章や、断片的なメモとして記されている。
GW期間中の飲みもの:
福島から買って帰ったマンデリングレードNo.1
母の淹れたコーヒーは香味が弱く、薄かった。
料理の段取りが悪いのか、「コーヒーが冷めた」といって
淹れたコーヒーをポットで再び沸かし、ときにはそれすら冷めてしまってレンジアップして飲む。
普段使っている「特売のインスタントコーヒー」とはやっぱり違う、とは言うものの
そんな淹れ方をされていたのでは特売品もマンデリンも浮かばれない。
中学を卒業して飛び出すように地元を離れた私にとって、ここには会うべき同世代人はいない。1年に一度あるかないかの帰省の目的は、年寄りに顔を見せることと墓参りである。ここ最近では、年寄りよりも墓石に向かうことのほうが多くなっている。
祖父の骨が収められた墓は、集落の小高い丘に立っている。その集落は、山あいの狭い土地に辛うじて田畑を配することによって形成されている。墓地からは両側に迫る山と、その間隙を縫うようにして流れる川と、川べりに器用に配された水田とを一望することができる。水田には整然と苗が植えつけられており、その水面はそばに建つ農具小屋を映し出している。この風景に、祖父やこの集落に暮らしてきた人々のすべてが詰っているように感じた。
祖父の遺品の中に3冊の日記がある。A4ノートには、1日の出来事が数行の短い文章や、断片的なメモとして記されている。
5月16日月曜日天気雲後晴 午後2時迄釣りエガミ3ハゲ3 夕方「タルキ」のあぜぬりかぎカッコで囲まれているのは田畑の名称。この土地に田畑を開いたものがいて、それらを脈々と受け継いできた人たちがいることの証だ。日記からは、放っておけば数年で森が侵食してくるであろう山村の土地に、もくもくと、そして大切に手を加えてきた祖父の様子が伺える。おそらく、この集落に暮らしてきた人々はこうやってこの土地の歴史を紡いできたのだろう。その歴史はきれいごとどころか、むしろ泥臭い人間関係の連続だったであろうことも想像に難くない。そのうえで、さまざまなことに向かい合ってきた人たちの面影をも想像することができる。僕は自分自身の問題に向かい合ったさきに、どんな景色を望むことができるのだろうか。
5月17日火曜日晴時々雲 午前中(豆ちぎり)「城下」へ行く 午後「竹ノハナ」芋床うね夕方迄
5月18日水曜日天気晴 松崎へ釣り夕方迄 エガミ1匹 朝「タルキ」え草刈
5月19日天気晴木曜日 午前7時頃からK(長男)の田廻り それから「坂の畠」の竹切り12時迄 午後はR(次女)の所から「斧積」「○原」へ それから「竹ノハナ」え草けづり 妻も来る
5月20日金曜日晴 午前10時30分まで「竹ノハナ」え
午後2時から(もち)の草取り 夕方迄かかる
5月21日土曜日天気晴後雲 午前10迄「竹ノハナ」へ 2人
それから○○の草引 午後は「下北市」のあぜなをし
GW期間中の飲みもの:
福島から買って帰ったマンデリングレードNo.1
母の淹れたコーヒーは香味が弱く、薄かった。
料理の段取りが悪いのか、「コーヒーが冷めた」といって
淹れたコーヒーをポットで再び沸かし、ときにはそれすら冷めてしまってレンジアップして飲む。
普段使っている「特売のインスタントコーヒー」とはやっぱり違う、とは言うものの
そんな淹れ方をされていたのでは特売品もマンデリンも浮かばれない。
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