2012年12月5日水曜日

ホモ・サピエンスのグレートジャーニー

僕は最近、ホモ・サピエンスがアフリカを出て世界中に拡散した過程についてよく考える。

我々の祖先がアフリカの大地を出てさまざまな環境に適応していく過程は、困難の連続だったに違いない。それぞれの個体がさまざまな試行錯誤を行い、生存の道を切り開いた。そう思う。そこには無数の失敗があったに違いない。偶然にも環境に適応する術を編み出したものが生き残り、それに続く者がいた。そんなことの繰り返しではなかったろうか。


そんなことを考えながら、同時に、今の世に生きる人たちの人生についても考える。それぞれが困難な人生を生きている。それでもなんとかもがいて、自分の生きる道を切り開こうとする。失敗も無数にある。成功を手に出来るのはそう多くはない。しかし、もっとも大切なのは、新たな道を切り開くことであり、その成否はさほど重要ではない―すくなくとも個人にとっては。自ら切り開いた道が、人類が生き残る道となるかどうかはおそらく別の問題なのだから。


僕が興味があるのは、我々の祖先はどのような能力で自ら生きる道を切り開いてきたか、ということ。そして、そのような能力の生物学的な背景についてである。

2012年11月22日木曜日

真実の追求と、タマネギにおける皮と身の境界について(村上春樹風味)


いったいどこまでがタマネギの皮なんだろう? タマネギの皮をむきながら、ふとそんなことを考え、手を止める。

いま表面にあるものは、まだ、身ではないんじゃなかろうか?そう思い、また一枚、また一枚とタマネギを剥く。

タマネギの皮をむく作業と、真実を追求する作業―あくまで、ぼくのスタイルということだけれどーは、どことなく似ているように思う。
論文を読むときも、書くときも

これは「本当に」正しいのだろうか? 

と、自問する。
いくつもいくつも、何度も何度も「本当に?」を積み重ねる。そして、捨てる。
世の中には、僕の猜疑心に耐えうる力をもった真実はあまりないのかもしれない。
結局、よくわからないまま論文を読み終えたり、結論らしい結論を導かないまま論文を書いてしまったりする。
あとには何も残らない。タマネギのすべてを皮だと疑いはじめたら、食べるところは何もなくなってしまうように。

大げさに言えば、ぼくの生き方そのものにも当てはまることなのかもしれない。食べる部分を見失って、後悔する。
タマネギの一枚一枚を取り出して、切り刻み、分析して、食べられるかどうかを判断していたら、食べられるところはなくなってしまう。

全部、食べちゃえばいいんだよ。
食べられるかどうかは、結局のところ、食べてみたらわかるのだから。

問題は、食べられるかどうかよりも、どうやって食べるかの方だったりするのかもしれない。

幼若期にPCPを投与された動物の海馬で、聴覚刺激に対する興奮性が増大すること。
そのことをどの文脈に当てはめるかが重要なのかもしれない。

何匹もの動物を犠牲にして得たデータを、どのような文脈で語るのか。

他人より利口になったり、テストでいい成績をとったり、会社の売り上げを増やしたりするという文脈で語るのはあんまり趣味じゃないな(とても個人的な意見です)。

もっと壮大な、人類観や人生観を変えてしまうような文脈で語りたいものです。

でもまあ、そのためには堅実なデータが必要なんです。

なんつったって、僕は猜疑心が強いですから。


ぜんぜん、村上春樹じゃないな。書き出しはいけるとおもったのに。

2012年11月18日日曜日

雑感(1)


およそ5万年前、現生人類であるホモ・サピエンスは生まれ育ったアフリカ大陸を離れ、ユーラシア大陸へと渡った。その後、さまざまな場所のさまざまな環境に適応しながら、地上でもっとも広範囲に分布する動物といわれるほどにまで生存環境を広げていった。その過程において、「文化を継承する能力」が重要な役割を果たしたという考えが「知の遺産仮説」である。それまでの知識を継承し、さらに自らアレンジすることで、未知の環境に適応していったという考え方。それは人類のドラマであると同時に、個々人のドラマでもある。どうにもならないことだってたくさんあったんじゃないかな。挫折、苦悩、諦め。無数の失敗。環境の変化に翻弄されながらも、生きながらえたヒトたちは、死ぬまで生きた。満身創痍の体で、歩けるものは歩き、笑えるものは笑った。そんなドラマ。彼らが直面した課題ってなんだろう?それを知るためにはどうしたらいいんだろうか?当時の気候や植生、動物種とかを調べるといいのかなぁ。彼らはどのようにして課題を乗り越えていったんだろう?これは考古学かなぁ。

「知の遺産仮説」における重要なポイントは、5万年前のホモ・サピエンスがすでに現代人と同等の知能(=文化を継承する能力)-あるいはその生物学的基盤ーを備えていたという点である。チンパンジーに現代人と同じ教育を施してもヒトにはなれないけど、5万年前のホモ・サピエンスは教育によって現代人と同程度の知的水準に達することがでいるという点。つまり、5万年前のヒトと我々との間にあるのは、生物学的な違いではなく、継承された知識の量の違いであるということ。ほんとかどうかはまだわからないけど、斬新でイイネ!それに、なんだか5万年前のヒトを少し身近に感じます。5万年前のヒトとの共通点とか相違点とか考えてると、現代人の間の個性の違いなんてどうでもいいとも思えてきます。でもまぁ、個性の多様性こそ、人類全体の生存率をあげる要因になっているともおもうのだけれど。それはまた別のお話。 

2012年4月22日日曜日

モカ・マタリ AXC-BB

今朝はまず、温泉に向かった。目覚めたときに足の疲労感を感じたからだ。2月半ばにぎっくり腰を患って以来、足の疲労感には敏感になってしまった。足の疲労感を感じたまま何もしないでいると腰が痛くなることが多い。今週末は足の疲労感と背中の強張りがひどかったので、念には念を入れてマッサージを受けることにした。ぎっくり腰以来、2週間に一度はマッサージを受けている。

初めてのぎっくり腰は衝撃的な痛さだった。人生に絶望しそうになった。この先何十年もこの痛みを抱えて生きなければならないのか、と。今では、体のサインをうまく読めるようになったので、なんとかうまくやっていけそうな気がする。


福島市の中心部では桜が満開を迎えている。川沿いの桜並木どおりでは多くの人たちが花見を楽しんでいた。

昨夜は福島市内の飲み屋街に沢山の人出があったそうだ。それをおしえてくれた人は、満席でなかなか入れる店を見つけられずに、3軒(福島ではとても多い数)も店を回らなければならなかったようだ。「みんな春に浮かれてるんだよ」と、その人は言った。

医大の敷地では新緑が芽吹き始めている。福島市内の春はこれから、西吾妻連峰を駆け上ることになるだろう。さまざまな色で溢れる季節が到来する。

去年も同じような春が来た。去年の今頃にこのブログに書いたものと同じような春の景色が今年も福島市内を彩っている。今年、その春に浮かれる人たちが去年よりも沢山いるような気がする。



ここ数ヶ月くらい、研究に対するある想いが頭の中をめぐっている。

「行動の機構」ということについて。

動物の行動はどのように生み出されるのか、それを知りたいとずっと思ってきた。「内外の環境の変化を捉え、その変化に対して適切に反応する―あるいは働きかける」というのが、動物の基本的な行動原理だと思っている。多くの場合、それらの行動は単純な反応でも、画一的な反応ではない。理性な判断や感情・情動あるいは記憶などがさまざまに影響することによって、多様な行動パターンが形成されるのではないか。そのような行動が生まれるとき、脳の中ではどんなことが起きているのか知りたいと思う。

「情動が社会性行動に与える影響」について。

震災以来、動物の社会性行動と情動の関係について考えることが多くなっている。人間社会において、「社会性」というととても高貴なものを連想する。理性とか、公正さとか正義だとか、徳とか博愛だとか。たしかにそいうものは社会を形成する上で、とても大切なことだ。それに異論はない。でも、人間や動物の社会の大部分を支えているのは理性でも公正さでもないんじゃないだろうか?だって、理性や公正さや正義や徳や博愛に溢れた社会ってないけど、それなりの社会は存在してるわけで。すくなくとも今の社会を支えているのはもっともっと素朴な感情であったり情動だったりするんじゃないだろうか。たとえば、ひとりでいると不安とか、好きな人と離れると寂しいとか、そういう感情。そういう感情やら情動が動物の社会性行動に与える影響とかあるんだろうか?あるとしたら、どういう風に影響するのだろうか?そんなことを考えている。


「キリスト教的社会観、資本主義的効率性への挑戦」

情動が社会性行動に与える影響を調べることって結構重要なんじゃないかと思う。今の社会に漂っている閉塞感は、キリスト教的な価値観や資本主義的な価値観が行き詰っている結果なんじゃないかと思うから。理性的な行動こそ正しい社会をつくる、みたいな価値観。みんながキリストや聖人君主みたいに正しいことを強要される(誰かに正しさを理解してもらわないと、自分の存在すら無くしかねない)し、みんなが効率的であることを求められる(そうしないと生きてけない)。でも、ここらでそろそろ、そういう社会を見直しても良いんじゃないかと思う。だって、人間は感情のある生き物だから。そして、その感情なり情動なりがたくさんの社会性行動を生み出すきっかけにもなってるはずだから。

そういうわけで、僕は「情動が社会性行動に与える影響とそのメカニズム」を神経生理学的に研究したいと思う。

2012年3月18日日曜日

フレンチコネクション

仕事もプライベートもあまりうまくいかなくなって
苦しくて押しつぶされそうだった。

どっちに進めばいいかさえわからない。
自分を見失ってしまっていたようだ。


気分を変えるために、部屋の模様替えに取り掛かった。
まずはいらない物を捨てる。
片っ端から捨てる。

部屋にあるものと自分との関係を見直しながら。


色んな本を捨てた。

正しい英語を書くための本や
論理的な思考をトレーニングする本、
そして電子工作の本。

自分ひとりでなんでもかんでも100%こなそうとして
色んな本を購入していたようだ。

その本は高く高く積み上げられ
自分と他人との間を隔ててしまっていた。

僕にとって本とは、知識とは、すくなからずそういうものだったのかもしれない。

傷つけられないために色んなもので自分を取り囲んでいた。

いつのまにか人とのかかわり方を忘れてしまっていて
自分の大切な人たちまで深く傷つける結果になってしまったのかもしれない。

仕事もプライベートも。


人と関わることの大切さと楽しさを僕に思い出させてくれた人とは
結局、別れてしまうことになった。

色んなものを損ないながら学んでいく。


もっといろんな人と深くかかわっていこう。

自分と人との間を隔てるような本は買わない。

分からないことは生きている人に尋ねる。

未来のいつかのための本は買わない。

過去のあのときのための本は置かない。


逢花打花 逢月打月


僕は福島で人生を学んでいる。

職場で、街で、バーで。

2012年3月4日日曜日

甘酒、中野不動尊(曹洞宗中野山大正寺)

中野不動尊は福島市の北西にある。ここは日本三大不動尊に数えられていて、年始は大勢の初詣客でにぎわう。車で行けば、福島市と米沢市を結ぶ国道13号線から5分ほどわき道を行くと境内が見えてくる。

僕は初詣のほか、季節折々にここを詣でる。福島交通の飯坂線というローカル線で福島駅から飯坂温泉駅まで行き、そこから一時間ほど歩いて行く。飯坂温泉駅からの一時間、目の前に広がる林檎や桃などの果樹園とその向こうにそびえる雄大な西吾妻連峰の景色を十分に楽しむことが出来る。この時期は、真っ白な雪に覆われた果樹園と、青く霞みがかった山腹と白い雪をかぶった山頂がまるで白波のような山脈が眼前に広がる。

境内の奥の院には洞窟がある。洞窟は迷路のようになっていて、所々に横穴が空いている。そこには不動明王の36の眷属(三十六童子)が一体ずつ祭られている。参拝者はろうそくを片手に洞窟に入り、童子たちを巡っていく。現在では要所に蛍光灯が設けられているが、それでも洞窟内部は暗く、手にしたろうそくの明かりをしっかりと感じることが出来る。このろうそくの明かりを仏教の光明になぞらえ、参拝者は自らの足元を照らす。

壁にぶち当たったり、物事がどうにもうまくいかなくなったようなときにもここを訪れる。一時間ほど目の前に広がる景色を眺めながら歩くと、だんだんと気分が落ち着いてくる。境内の洞窟で一つ一つの仏像に手を合わせてさらに心を静める。ろうそくで自らの足元を照らしながら、自分の置かれている現状を改めて考える。考えてもよくわからないときは、そこに少しでも灯りが差すことを願う。そして、自分の目指すべき道をもう一度強くこころに刻み付ける。このろうそくの明かりのように、誰かの足元を照らす研究をするにはどうすれば良いのだろう。さらに、僕は果たして誰かの光明になりえる研究をしているのだろうかと自問する。



*****

今日は歳祭りという行事の最終日だったようだ。何気なく訪れた中野不動尊の境内には、多くの参拝客がいた。出店が並んでいた。

境内のいたるところに白い短冊のついた青竹が立てられていた。何かの奉納物のようだ。おそらく数十本はくだらないであろう青竹が2mほどの間隔で立てられている。青竹には、納めた人の住所と名前が書かれた紙が貼られていた ― 福島県いわき市、岩手県花巻市…。この青竹ひとつひとつに、奉納した人々の切実な願いや思いが込められているのだろう。

僕はひとつひとつの青竹に込められた祈りに思いを馳せてみた。いわきや花巻は東日本大震災で津波の被害をうけたところだ。この青竹を奉納した人たちは、どのように震災を受け止め、どのような祈りを込めたのだろうか。おそらく、それぞれの受け止め方は異なり、ここに込めた祈りも異なるのではないだろうか。

「世の中は、様々な人の様々な思いで溢れている」

僕はこの震災でそのことを学んだ。あるいは強く思い知らされた。
地震や津波、原発事故は様々な人々に不安や苦しみ、悲しみをもたらした。そして、それらの不安や苦しみや悲しみは様々な場所でいろいろな対立や争いを生み出してしまった。僕は当初、その対立や争いを「正しさ」という観点ですべて解決できると信じていた。そして、新たに生まれた対立や争いを「正しさ」という観点で分析しようとした。しかし、そこには「正しいこと」と「間違ったこと」、あるいは「正義」と「悪」で切り分けられるものはほとんどなかった―少なくとも僕の能力では。そこにはただ、「不安」とか「苦しみ」とか「悲しみ」があるだけだった。

私の「正しさ」と他人の「正しさ」がぶつかった。
私の「不安」と誰かの「不安」が争った。
私の「苦しみ」と別の誰かの「苦しみ」が対立した。
私の「悲しみ」がそのまた別の誰かの「悲しみ」を傷つけた。
そこにあるのは「正義」と「悪」のような対立ではなかった。

僕は「正義」と「悪」の対立構造で世界を理解しようとしていた。
そして、各人にはそれぞれの思いがあるということを受け入れられずに苦しんだ―あるいは苦しんでいる。


*****

不安や苦しみあるいは悲しみ同士の対立は、理解することで乗り越えられないだろうか。全部とは言わないけど、一部だけでも。不安や悲しみなどを生み出している社会構造を変えることは難しい。社会は複雑にからみあってのっぴきならない。それを変えるには大きな代償を必要とするだろうし、その構造変化が新たな悲しみをもたらすことだって考えられる。でも、それぞれの苦しみや悲しみを理解することはそのような困難を乗り越えられるんではないだろうか。人々の不安や悲しみをただ理解することで、その先に起こりうる対立を回避できないだろうか。